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各区のご紹介

各区紋章画像 香取区

概要

 放生祭に出る唯一の神輿で、二年に一度、八幡神社の御神体(ごしんたい)奉戴(ほうたい)して氏子各区を巡ります。もともと八幡神社にあったものを明治35(1902)年に香取区が譲り受け、巨費を投じて修理をしました。

歴史

 明治7年の町名改正により、常在小路37戸、猟師町50戸、柳町の内10戸を合わせて香取町(区)となりました。
 常在小路、猟師町、柳町いずれも、江戸時代の祇園祭に練り子などを出していたという記録は、いまのところ見当たりません。
 明治以降の放生祭の記録では、香取区は、明治31年は「(つく)(もの)」、明治33年は「奉納」とあり、明治39年からは「神輿」となっています。香取区の神輿の内壁には、香取区が明治35年6月に八幡神社の神輿を修理し、神社から神輿を譲り受け、以降祭礼に出すようになった由緒が書かれています。
 神輿は、御神体を乗せるためのものであり、神様へ奉納するための芸囃子である他の区の()(もの)とは、本来の性格が異なりますが、放生祭では香取区の演し物としての位置づけになっています。明治から昭和戦前にかけての放生祭では、だいたい隔年で神輿が出ていますが、戦前までは演し物が行列を組んで動いていたため、神輿の出番の年は神輿が行列の先頭に立っていたことが記録からわかります。
 現在、香取区の神輿は祭礼二日目の本日だけ巡幸することになっていますが、昭和30年代頃までは、9月14日・15日の二日間とも巡幸していました。14日の夜は、区内に仮安置所を建て、区民が交代で寝ずの番をして、御神体を奉戴している神輿の警護にあたったということです。

▲ 香取区神輿

巡幸の実際

 当日朝、香取区本陣を出発し、台車に載せて八幡神社まで曳いていきます。拝殿前で宮司による神事があり、御神体が神輿に遷されると、神輿を担いでの巡幸が始まります。巡幸路は、八幡神社を出発し 神田区→大宮区→竜田区→男山区→鹿島区→浅間区→大原区→飛鳥区→貴船区→白鳥区→日吉区→白鬚区→玉前区→塩竃区→鈴鹿区→多賀区→津島区→清滝区→生玉区→今宮区→広峰区→酒井区→駅前区→住吉区(平成30年の場合)というようにして、すべての区を巡幸します。
 巡幸中、各区の本陣や祝儀を受けた家や店の前では、「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」の掛け声とともに神輿を三度威勢よく頭上あたりまで持ち上げます。
 すべての区を巡ったあとは八幡神社へ還御(宮入)し、宮司による神事で御神体を本殿へ還します。神社から香取区本陣までは神輿を台車に載せて帰り、17時過ぎに神輿を区内の神輿庫に納めて終了となります。

▲ 香取区神輿
本陣前で威勢よく三度持ち上げる