住吉区
概要
住吉区の大太鼓は、寛文11(1671)年の頃からすでに上小路(鵜羽小路)の「笠鉾(傘鉾)」として祇園祭に出ていて、くじ取らずで常に祭礼行列の先頭に立っていました。その伝統から現在も住吉区は一番に宮入りをします。
歴史
明治7年の町名改正により、鵜羽小路41戸、永三小路31戸、石屋小路37戸と質屋町のうちの1戸を合わせて住吉町(区)となりました。
鵜羽小路は、元々は「上小路」と書かれていましたが、正徳5(1715)年頃から「鵜羽小路」と記すようになっています。記録によれば、上小路は寛文11年と延宝7(1679)年の祇園祭に、裏町(現 鈴鹿区の一部)と合同で「笠鉾」を出していたことがわかります。寛文11年の記録には「太鼓有故先ニ立ツ」とあり、笠鉾に太鼓が伴っていたことがわかりますが、おそらく棒振もセットであったものと思われます。「笠鉾」は「傘鉾」とも書かれました。元禄期(1688~1704)の記録には、「傘鉾は鬮を執るに及ばず、第一番に之を捧ぐ」とあり、毎年の祇園祭の祭礼行列で、くじ取らずで常に先頭に立つことが伝統になっていたことがわかります。文化末(1817)年頃は「傘鉾」を北本町(旧 裏町)、「大太鼓」を鵜羽小路が担当し、安政5(1858)年の行列は一番が北本町の「傘鉾」、二番が鵜羽小路の「大太鼓」となっています。
廣嶺神社が所蔵する江戸後期の絵巻物「小浜祇園祭礼図」(県指定文化財)には、行列の先頭を行く、傘鉾・棒振・大太鼓の一団と、さらにそれに続く傘鉾2本が描かれています。先頭の金鶏を載せた傘鉾は現在も住吉区に残っており、その収納箱には「傘鉾 上小路」「享和4(1804)年」の墨書があります。後ろの傘鉾2本が北本町が出していた「傘鉾」で、先頭の傘鉾と棒振から大太鼓の屋形までが鵜羽小路が出していた「大太鼓」かと思われます。これがほぼそのままのかたちで、現在の住吉区の大太鼓に引き継がれていることがわかります。

▲ 鵜羽小路の傘鉾・棒振・大太鼓と、北本町の傘鉾
(廣嶺神社蔵「小浜祇園祭礼図」より)
永三小路は、寛文11年は今町(現 日吉区と神田区の一部)とともに「鷹師」の練り子を、延宝7年は永三小路単独で「呉服売」の練り子、翌8年は「龍門」の練り子、天和3(1683)年は「猩々」の練り子を出しています。そして享保5(1720)年には山車「猩々山」を出していたことがわかります。享保の改革により京都祇園祭以外の全国各地の山車が幕府から禁止されたため、享保6年は「猩々歩行」とみえ、一時練り子に戻りましたが、文化末年頃も「猩々山」を出していたことがわかります。「小浜祇園祭礼図」には「猩々山」が描かれています。

▲ 永三小路の「猩々山」
(廣嶺神社蔵「小浜祇園祭礼図」より)
石屋小路は、達磨小路(現 日吉区)・薬師小路(現 日吉区と神田区の一部)とともに、寛文11年と延宝7年には「鵜遣」の練り子を、延宝8(1680)年には山車「三番叟山」を出しています。また、文化末年頃は石屋小路単独で「鵜遣い船」の練り子を、安政5年には「五人男」の練り子を出しています。
明治以降の放生祭では、明治14(1882)年に大太鼓が福谷村(現 小浜市西津福谷)へ売却され、中断した時期がありましたが、鵜羽小路から引き継いだ「大太鼓」をずっと住吉区の演し物として、現在に至っています。
現在の大太鼓と屋形は、昭和57(1982)年に新調しました。昔の大太鼓屋形は、昭和40年代前半頃までは車輪がついておらず、担いで動かしていました。傘鉾も台車に載せる以前は、人が持って歩いていました。

▲ 住吉区の大太鼓
(大正~昭和初期、井田家所蔵古写真)
傘鉾に載せる飾りの金鶏は、文久2(1862)年に作られたもので、平成16(2004)年に修復しています。雨天時に用いる「巴崩」の飾りもあり、こちらは慶応2(1866)年に作られました。

▲ 住吉区の傘鉾
演目と構成
棒振
住吉区大太鼓の棒振は、二人一組の棒振で、棒振の演目は一種類だけです。棒を上下で打ち合わせる、一人が足を払うと一人が跳んでかわす、一方が打ち込むと一方が体の前で棒を横にして受ける、二人が棒を合わせてから背中合わせになり一方の背中の上で一方が後方回転する、といった動きを見せます。

▲ 住吉区大太鼓の棒振
太鼓・鉦の曲
住吉の大太鼓の一団は、傘鉾を先頭に二人の棒振が二組、子供たち、鉦を打つ大人五人の順に続き、その後を大太鼓の屋形が行います。道行きの際にはゆっくりとしたテンポの「道引」の曲で進み、本陣など目的の場所が近づいてくると少しテンポアップして「中攻め」、さらに近づくと激しいテンポの「攻め」を打ちます。
目的の場所まで来ると棒振二人は巴を描くように大きくその場所をまわり、やがて向かい合うと「攻め」の大太鼓が打ち止められます。ここまで棒振はずっと棒を水車のように回します。
周囲の安全を確認し準備が整うと棒振の演技が始まります。棒振の演技中の伴奏曲が「棒振太鼓」です。
棒振が済むと、子供や青年たちによる大太鼓の曲打ちが披露されます。住吉の大太鼓の曲には「トラバイ」「カンカンカン」「巫女の舞」「棒振崩し」「親獅子」「児獅子」「楽車崩し」「カラカン」などがあります。子供は、それぞれの曲を子供用に短くアレンジしたものを打ちます。また、「カンカンカン」や「巫女の舞」の曲を二人の子供で打つ「二人バイ」もあります。