酒井区

演し物 山車
住所 小浜市小浜酒井
世帯数 90戸
人口 200人

区のみどころ

小浜のほぼ中央に位置している。区割り改正により質屋町,片原町,松寺小路がまとまって春日町となり,後に酒井区となった。区名の由来は諸説あるが,江戸時代小浜藩の藩主であった酒井家から来ているといわれる(『角川日本地名大辞典 福井県』より)。質屋町は小浜縦貫線の拡幅整備(H13~22)に伴い,歴史を感じさせる町並みが創出されている。また,平成16年には酒井区会館が建設され,祭の稽古や会合,行事などに有効活用されている。

出し物の由来

質屋町の「布袋山」は延宝7(1679)年からの伝統を持つ。享保6(1721)年,享保の改革で途絶えるも,宝暦6(1756)年に復活,道行囃子があった。廣峰神社所蔵の「小浜祇園祭礼絵巻」の中に,正面に布袋様を飾り,後ろが布で覆われている山車の様子が見て取れる。後部には唐子人形も飾られている。当時はおそらく後部の布で覆われた部分に囃子方が乗り込み,囃子の演奏をしたものと思われる。

安政5(1859)年6月,布袋面が石屋小路在住の細工師,一貫齋内藤吉兵衛によって新調された。当時は怒った顔であったが,前歯を一本欠いたところ笑顔になったと伝えられている。現在の山車は三代目。明治34(1901)年に建造,大正15(1926)年に塗と金具を新調した。また,平成6(1994)年には車輪を新調している。

出し物のみどころ

シンボルは二階中央に飾られている「布袋」の面,二百数十年の歴史があろうと思われる唐子人形2体,昭和2(1927)年に織り上がった京西陣綴れ織りの七賢人の見送りである。見送りは賢人の顎髪の一本一本が鮮明に織り上げられた逸品である。傷みが目立ってきたため,平成14年に補修を行ったが,その際に業者から「もう二度とこのようなすばらしいものは作れない」と言われた。また,唐子人形についても,専門家からは値がつけられないほどの値打ちがあるものと言われている。

酒井区の囃子は他の山車の囃子と比べると,ややゆったりとした落ち着きのある演奏が多い。優雅さと力強さを併せ持った,舞うようなバチ捌きには酒井区ならではの美しさが感じられる。平成10年秋,若狭歴史民俗資料館(当時)の特別展に出演した折には,見物に訪れていた全国の祭の研究者から,その道引囃子が日本の山車の囃子の中でも特筆すべきものであると絶賛された。

私と放生祭


北村 理

私は、300年以上も続く放生祭が今後も発展的に続くことを願っています。私は、小浜酒井に生まれ小学校の時から放生祭に参加しています、昨年、私が子供の時に叩いていた囃子を息子達が奉納していた時は感慨深いものがありました。

祭りの本日(ほんび)を迎えるまでには、8月の後半から囃子の稽古が始まります。近所の子供達が集まり、大人達も集まり約 1ヵ月間の稽古を行います。大人と子供が一体となり小太鼓、大太鼓、笛、掛け声が一つに成った囃子の高揚感は最高です。

大人が子供を教えて囃子を伝え上達させることが目的ですが、祭の稽古だけではない地域の深い繋がりが子供にも大人にも良い影響を与えていると思います。

放生祭は、将来を背負う子供達の健全な成長と地域の活性化が図られものであり、更なる発展を信じています。