小浜の文化財

楽の本屋台には獅子頭が載るが、獅子舞はなく、優雅で繊細な音律の神楽獅子を聞かせる。本屋台の大小二つの太鼓と笛の囃子で道行きし、神社や各区の本陣では、

雲浜獅子

寛永11年(1634)酒井忠勝が、武州川越から小浜城主に移封されたときに、演技者を引き連れ、雲浜村竹原に住まわせたことから、地名をとって雲浜獅子と名付けられた。
演技者には、酒井家の家紋と準士族の地位を与え、城内の祝典以外での演技を禁じたという。
現在は、忠勝をまつる小浜神社の例祭で奉納されている、雄の老獅子と若獅子、雌獅子が登場し、序、破、急の三段にわたり笛と太鼓の囃子に合わせて廻り舞う。
老若の獅子が、雌をめぐって激しく争うが、最後には仲直りして友連れの舞で納めるという、人生の教訓を踏まえた内容といわれる。
毎年5月2日・3日に催される。

指定
種別 無形民俗文化財
管理者 雲浜獅子保存会
所在地 小浜市一番町
指定 昭和32年3月11日

手杵祭

4月3日に矢代観音で行われる祭で、現在は定期的には開催されていない。
祭の由来は次のように伝えられる。天平宝字3年(759)に矢代の海岸に唐船が漂着し、浦人は、初めは乗船していた高貴な女性6人と船頭2人に食料などを与え面倒を見たが、やがて積荷の財宝に目がくらみ、全員を殺害し財宝を奪ってしまった。この事件の後、悪病が流行し、不祥事も耐えなかったので、天罰を恐れて本堂を建て、姫の奉じていた観音像を安置し、罪を懺悔し霊を供養するため、当時の模様を再現する手杵祭を始めたという。
祭は、正月から精進潔斎を重ねてきた大禰宜の総宰のもと、区の娘が姫君役となり、若者が手杵棒振り、弓矢持ちとなってこれを襲う所作をする。若者はシダの葉をかぶり、顔に墨を塗った異様な扮装をする。

指定
種別 無形民俗文化財
管理者 矢代区
所在地 小浜市矢代
指定 昭和43年3月29日

和久里壬生狂言

和久里壬生狂言とは小浜市和久里の西方寺境内にある市の塔の七年供養会に三日間奉納される無言劇の狂言である。京都の壬生寺の壬生狂言を習い伝えたものであると言われている。
かつては小浜の永三小路で行われていたが、宝篋印塔が西方寺に移されたことから、和久里の人々が永三小路の狂言師から学び、奉納するようになった。戦時中に中断したが、区民の熱意により復活し、現在も7年ごとに奉納されている。
現在9演目が演じられており、そのなかには壬生寺ですでに演じられなくなってしまった演目もある。

指定
種別 無形民俗文化財
管理者 和久里壬生狂言保存会
所在地 小浜市和久里
指定 昭和61年3月28日

加茂神社上宮の神言|加茂神社のオノケモノ

小浜市加茂の加茂神社で行われる神事は、オイケモノと呼ばれ、農作物の豊凶を占うものである。
神事当日の朝、諸役が社務所に集合し、神事で使う神饌と、当日埋納する物実「野老(ところ)、栗、椎、干柿、銀杏、団栗、榧実」を、小孔を穿った杉の小箱に入れ、ウシノシタと呼ぶ餅で上下を籠めて密閉して準備を整える。諸役はまず下宮で五穀豊穣を祈願した後、上宮に向かう。その参進の途中の中稲馬場と上稲馬場では、藤の若葉を吊るしこれを三回射る神事を行って豊作を占う。上宮では神饌類を供献拝礼し、ムクの老木下の土中から前年埋納した小箱を取出し、本年の小箱を改めて埋納する。諸役は、小箱を開き占象となる芽出ちの模様を調べ、五穀の豊凶を検分する。古来より厳粛に伝世された、神秘な山の神を崇め、物実の発芽により豊凶を占う神事は、素朴で貴重な民俗行事といえる。

指定
種別 無形民俗文化財
管理者 加茂区
所在地 小浜市加茂
指定 平成6年5月20日

指定
種別 選択無形民俗文化財
管理者 加茂神社上の宮神事保存会
所在地 小浜市加茂
指定 平成19年3月7日

奥窪谷の六斎念仏

奥窪谷の六斎念仏は、戸数25戸の奥窪谷で継承され、現在、1月16日の仏法始めと、お盆の8月13日、14日、17日(十七夜)、二百二十日と、2月から10月までの毎年14日の念仏講に奉納されることになっている。
六斎念仏は、小学生の一六斎(ひとろくさい)と中学生の二六斎(ふたろくさい)、青年団の三六斎(みろくさい)によって演じられる。一六斎の場合は回る・屈むなどの基本的な所作を習練することから始まり、二六斎、三六斎の年齢ごとに複雑な太鼓の打ち込みがある。
当地の六斎念仏は松永村(小浜市門前)のダンゴ善という人から習ったとされているが詳細は不明である。一時中断したが、昭和57年に保存会を結成し、積極的に村作りの一環として後継者の育成に努めている。

指定
種別 無形民俗文化財
管理者 奥窪谷六斎念仏保存会
所在地 小浜市西相生
指定 平成16年4月20日

椎村神社の祭

小浜市若狭区の椎村神社で5月4日~6日に行われる祭である。祭は、4日の宵祭、5日の本祭、6日の行事に大別される。
宵祭には、幟立て、オタビトリ、粽巻き、シンジゴトなどがある。本祭には居住地区から離れた神社から通称オフダバのお旅所へ神輿の渡御がある。宵祭に1回、本祭りに4回、獅子舞と天狗舞とがある。獅子舞は二人立ち。
天狗舞は王の舞とも呼ばれ、天狗面を被ったツキヤクが御幣の垂れをつけた鉾を手に演ずる。災厄を避け作物を荒らすシシ退治を模したものだと伝えている。
この祭には、若狭郡縣志や、稚狭考、大神輿小神輿の底板の墨書などの記録があり、古くは旧暦5月5日あるいは4月末の申の日に行われていたことがわかっている。この祭は、地区内の各年齢層の参加により維持されていること、ケガレを強く避け、伝統を厳守しようとしてきたこと、祭行事の古態を今に伝えていることなどの特徴をもつ。

指定
種別 選択無形民俗文化財
管理者 小浜市若狭区
所在地 小浜市若狭
指定 平成16年4月20日

奈胡の六斎念仏

小浜市奈胡に伝わる六斎念仏は、奈胡六斎念仏保存会により、8月14日の早朝から夕刻にかけて行われる。
一行は、早朝から場所を移して順々に六斎念仏を唱える。地区決めの墓地(六地蔵前、三界萬霊塔前、卒塔婆を納める所定地前など)を皮切りに、モリノシタと通称している聖地を拝する場所、地区の檀家寺と、各戸を一軒ずつ順に回って各仏前におよぶ。
子供が担当するものと壮年会有志が担当するものがあり、鉦をたたき、締め太鼓を打ちながら念仏と和讃を唱和する芸態のものと、太鼓うちが一踊りする芸態のものとに分けられる。子供並六斎、大人並六斎、大人舞六斎の3種類が伝わっている。奈胡の六斎念仏は、疫病が蔓延し多数の犠牲者が出たのを機に、霊を鎮めようと内外海、阿納地区に伝わるものを習い覚えて受容したのがことの始まりと伝えられている。

指定
種別 無形民俗文化財
管理者 奈胡区六斎念仏保存会
所在地 小浜市奈胡
指定 平成12年3月21日